エンタメニュースを考える
Variety,Music,Television,Radio
ニュース PR

自粛している中で欲望が明らかになることに安心してしまう。パチンコやホストや風俗や

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

新型コロナウイルスの流行で長らく様々な自粛が要請されることになった。

自粛をしながらも映像で楽しんだり、1人でできるランニングをしたり、

生き方・楽しみ方を考え直す機会になった。

パチンコやホストに自粛を要請

密を生じる営業は引き続き自粛を要請されている。

自粛の解除段階を示しているが、接客を伴う飲食業やパチンコ、室内での大規模イベント

などは自由に営業・開催できる見通しも立っていない。

ウイルスが流行してしまうと、病床が逼迫してしまし、医療崩壊が懸念される。

医療崩壊を起こさないためにはワクチンの開発など、光明がささなければ、

手放しに自由に行うことができるようにはならないだろう。

従業員は給料が入らず大変なのはもちろんだが、それを楽しみに生きている人に

とっても非常に辛いものと感じる。

テレビで批判的に報道されるパチンコに通う人やキャバクラ・ホストに通う人。

それを楽しみに人生を生きているかもしれない。医療崩壊を避けるためという理由が

あるにせよ、私は少し共感してしまうことさえある。

コロナは欲望の自粛も求められる

私が感じるのは欲望も封じ込められてしまう感覚。

自粛によって、欲望も閉じなければ行けなくなってしまったと感じる。

「欲望があることは悪いこと」と社会に言われているような気がする。

もちろん欲望が全てダメなわけではないが、欲望をコントローされているのが気持ち悪い

欲望のままに生きていたいと感じるのに。

大食い企画の再放送はよく見るので、食欲は自由に開放していい。

自由時間であれば惰眠を貪って、睡眠欲を満たしてもいい。

多くの人と触れ合ったり、抱き合ったりすることは自粛しろ、コントロールしろという。

性欲があるならば、自宅で動画を見るのは自由だよ。と

社会の要請に応じて、欲望がコントロールされている。

今までもそうしてきたし、それで社会が成り立っていると思うのだが、

私はなにか気持ち悪いと感じでしまうし、時に自己嫌悪に陥ってしまう。

欲望があることに安心してしまう私

変な話だが、風俗店が繁盛して、待ち時間が発生していることに安心してしまう。

社会では性的な欲望を隠すように要請されている。多様性を重んじる中で当然な流れだ。

社会生活を送っていると誰もが性的欲望がないように暮らしているように見える。

「みんな何が楽しくて、人生生きているんだろう」と思うことが多々ある。

そう思う時に風俗店に並ぶ人がいるのを見ると「みんな、欲求あるじゃん!」

と安心する。職場と自宅を往復しているとみんなが真面目に見える。

欲望がない機械が動いているように見える。

多くの人が社会人として、社会を仮の姿(機械的)に過ごして、

社会から離れた場所で、好きな時間を過ごしているということがわかった気持ちになる。

インターネットで見る「欲望まるだし」の人と社会に住む「欲望がない」人は

完全に分離されているように感じるが、みんなそれぞれの側面を持っているのだ。

その多重人格性のような考え方ができないようになってしまった。

過度に社会で欲望を抑えるよう要請されているからだ。

多重人格は自分が生きる上では人生を楽にするけれど、人を見る上では疑心暗鬼に

なってしまう要素なのだと感じました。

私が見ているあなたもあなたが見ている私も多分一面に過ぎないんですね。