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Variety,Music,Television,Radio
サブスク PR

サブスクやビデオオンデマンドよりリアルタイムのコンテンツを見て、聞いてしまう実況欲。

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サブスクでビデオオンデマンドでyoutubeでDIGA(全録)でradikoで

インターネットに繋がっていれば、無限のコンテンツにアクセスできる。

何にでもアクセスできる今、テレビは見られず、インターネット上の様々なコンテンツに

人は流れているという。私は、なぜがリアルタイムに近いテレビやラジオの方が好きだ。

なぜだろう。

なんでも見れるのにリアルタイム性が好き。

周りでもテレビはほとんど見ないという人が多い。

天気やニュースもネットで見るから、リアルタイム性もネットの方が上かもしれない。

それでも、リアルタイムに情報を伝えてくれるテレビやバラエティ・深夜ラジオを

聞いてしまう。無限に見るべきものはあるのに。

・若かりし頃のダウンタウンの漫才・コント。

・くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン。

・ダイナマイト関西や過去のIPPONグランプリ。

見たいものはたくさんある。違法動画なのかはわからないけど、youtubeに

上がっていて見ることはできる。それでも、同じ時間を使って坂上忍が不満を

漏らすバイキングを見てしまう。

ネット化が進むと言うけれど、いまを生きていたい。

過去の遺産はいくらでも見ることができる。

現在流れているものでも、少なくともテレビ5局、ラジオ5局の中から選ぶことが

できる。情報が多すぎる。今を写す並行世界が10もある。

これだけでも多いのに、過去の作品もあると選ぶことができない。

過去の作品はコンテンツの質で言えば、間違いがない。

たくさんコメントがついてい、信頼する人が勧めてくれるものを見ればいい。

それでも、そんな信頼する人からの推薦を無視して今の情報が勝ってしまうことが

度々ある。コンテンツを見ることの煩わしさがひとつの原因ではあるが、

それだけでは説明ができないほど、リアルタイムのものに惹かれている気がする。

今届けられているものに触れていたいという気持ちが絶対にある。

実況欲のようなものが。

面白さよりも共感できること

面白さに勝る感情があるのだと思った。共感だ。人と分かち合うこと。

Twitterで今、ダウンタウンの過去の漫才について呟いても、面白いものとして

認識されることはあるが、みんなでそれについて共感して分かち合うのは難しい。

動画を見ることは一つのハードルだ。

テレビやラジオは今のことだから、最新の情報・これからの情報だ。

それはTwitterで呟いて流れていく。人の感想も見ることができる。

今見ている人の感想は今の感想だ。ダウンタウンの過去の漫才のレビューは今のもの

ではない。過去の感想にはバイアスが入ってしまうのだろうか。

バイアスとは「先入観」のこと。どうせ過去の感想だし、年寄りの感想かもしれない。

それに対して今の感想は生き生きしていて人から発せられているのが感じ取れる。

「今」を感じる感覚。

コンテンツでもそう。過去の作品は作品としては最高でも、

「今」であるというエッセンスが削ぎ取られてしまっている分、感動が薄れてしまうの

かもしれない。今に心が奪われることを人は求めている。