作家の朝井リョウさんは私と同世代のアアラサー作家だ。若くして『何者』で「直木賞」を受賞し、人気若手作家になった。作家業にとどまらず、ラジオ出演や新聞・雑誌等での活躍も多い。特に、ニッポン放送系列 日曜22時30分から放送している『ヨブンのこと』では高橋みなみさんとのコンビネーションで朝井さんらしさが詰まっていると思う。
細かな描写。人が捨ててきたことを拾う
一番魅力的に写るのが朝井さんの言語力。普段の人ではなかなか気づかない、心の奥で気にしていることをよく言語化している。お笑い芸人が日常のあるあるをコントや大喜利、ものまねにして笑いに落とし込むのと同様に、朝井さんは言葉でその状況や感覚を描写してくる。笑えるものという観点ではなく、「わからなくもないような気がする」というような、不思議な感情を呼び起こさせる。
「あるある」や「お笑い」は大衆に届けようとする。逆に言うと、大衆に届かないことは「お笑い」としては提供しづらい。小さい劇場でファンの前で爆笑をとっても、テレビなどの大衆に向けた場所で受けなければ意味がないという感じすらある。
朝井さんの話は、お笑い芸人や他のタレントが捨てていることを拾って話しているような感覚。もちろん、みんなは捨てていても朝井さんが捉えることで「ゴミ」ではなく、納得させられるような話になる。
1番遠くに届く方法を考える。
ラジオで言っていたか、本で書いてあったかは忘れたが、「1番遠くに届く方法を考えている」というような趣旨の発言をしていたことが印象に残っている。「伝え方」にこだわっているということは著作を読むとよくわかる。お笑いでいう「フリ」の部分がしっかりしていると考えればわかりやすいだろうか。「寂しさ」を伝えるのを、それまでの人間関係や言葉の使い方で「間違いなく」「届くように」伝えている。
わかりづらかったことを、多くの人に届くように工夫して伝えられているのがわかる。私の心にいた、今まで向き合ってこなかった感情が自分にあることに気づき、自分を再発見する気持ちになる。
近年の著作である『どうしても生きてる』『死にがいを求めていきているの』はまさに、生きることの向かい合ってこなかった「苦しさ」に直面させられる。
顔をあまり知られていないからこそのエピソード
また、ラジオでは芸能人らしからぬエピソードが多いのも楽しい。「バレーボール」が趣味で、今でも友人と区民体育館などでバレーボールを楽しんでいるという。テレビへの出演はそこまで多くなく、気づく人も少ないため、問題なく一般の人とバレーボールをしている話は新鮮だ。
芸能人だからラジオという発信の場があるけど、芸能人ではなかなか行くことができない「体育館」の話は売れているお笑い芸人からは聞くことができない話。それが朝井リョウさんはできる。一般人の中にいるすごく感じの悪い人も一般人と同じ視座だから嫌味なく聞くことができるし、本当の「あるある」という感じというか。
芸能人と絶妙に距離をとっているのがすごい。
朝井リョウのエンタメ力
作家というと偏見で「クローズド」な趣味があるように思えてしまうが、朝井リョウさんはそんなことはない。大学時代には「ダンスサークル」に所属し、ハロプロオタクである。
芸能人やアイドル、タレント、お笑い芸人等へのリスペクトが感じられる。霜降り明星のせいやさんが作品などを評価し、モノマネをするのと同じような力を感じる。作品に没入しているのか、何度も見直して自分の頭の中で咀嚼しているのかはわからないが、普通に1回見ただけとは思えない熱量で作品のことを語ってくる。
作家としての才能なのかもしれないが、他人の作品を魅力的に届けられる人はその人自身の作品ももれなく魅力的だ。