7/25放送高橋みなみと朝井リョウ『ヨブンのこと』で気になる発言があった。
人間が持つ感情についてに分析がすごい。
加虐性のある立場であることが怖い
最近、加虐性をテーマにしたメールを募集していた。その意図を語る。
自身が加虐性について考えさせられるタイミングが多いという。
店員と客
客は店員にクレームをつける側。世間で認識される強弱があり、客はその視点では強者だ。
上司と部下
部下に対して上司は強者。加虐する側になる。30歳を越えた朝井リョウにとって上司ではなくても、若い編集者に当たることがあり、その時は自分が加虐側にいると感じさせられるという。
男と女
一番わかり易いのが男と女。加虐で思いつくものに性犯罪がある。一般的に男が加虐側だ。肉体的に強く、さらに挿入する側という身体的な構造の問題もある。
肉体的な構造が違っていればと思うことがあるという。肉体的に強いほうが挿入される側であれば加虐行為がほとんどなくなるのではないかと考える。
また、自分が人類の半分の中で苛虐できる側にいることが怖くなるという。
「確かに」と思う。30代男性は世の中的に考えると完全に加虐する側だ。
次回の小説が楽しみ
ラジオでは長い尺を使って「加虐性」への考えを話していたので、だいぶ簡単な要約になったが、言いたいことはよく伝わってきた。
「加虐心」という言葉を使ってその思いを整理している。
また、世の中では否定され、悪いことと思われている「加虐心」を完全に否定するわけではなく、肯定し、その感情とどう共生していくかを考えているという。
そのために日頃からある「加虐心」を募集し、取材しているようだった。このような感情が次回の小説のテーマになるという。楽しみだ。
取材して、感情を集めて、言葉にする過程が見れるのは楽しい。
気持ちを肯定した上で考える
明らかに世の中では悪いこともある。しかし、それが白黒つけられ過ぎな気がする。世の中の判断はあまりにも善悪の二元論だ。
さらに「悪」は、世の中に出るだけで否定され・炎上し、社会的に抹殺されるので、世に出すことさえ憚られている。ゆえに、隠されてなかったことにされている。世の中に出せないから苦しんでいる人もいる。
それを自由に言える場があるだけでもありがたい。
「加虐心」はそんなものだった。誰にでもあるけれど、隠されていたもの。もちろん犯罪はだめなんだけれど、光が当てられていなかった部分に光があたった気がする、
肯定する場を用意してくれる朝井リョウさんは偉大だと思う。