2020年7月12日の朝井リョウ・高橋みなみ『ヨブンのこと』で深い思想の話をしていてジーンときた。
テレビやラジオで考えの話を聞くことがあるが朝井さんの話は刺さることが多い。思想関連の本でも気づきを得られることがあるが、同世代まだ30歳ほどの人が言っていることに考えさせれらる。
話のテーマは「優生思想(ゆうせいしそう)」と「加虐心(かぎゃくしん)」
「優生思想」と「加虐心」
まず、言葉の意味から。
「優生思想(ゆうせいしそう)」は世の中で評価されていることがその人のそのままの価値に繋がるという思想。
例えば、税金。かつて「納税者番付」があったように、税金を多く払っている人が偉いという考え方がある。年収で考えてもいい。いっぱい稼いでいっぱいお金を使って経済を回している人が社会に貢献していて偉い。
もしくは、出産。少子化が社会問題となっている中、1人で何人も子供を産めば少子化対策となるので、「偉い」「優れている」と評価される。
「優生思想」の問題はふとした時に考えが反転してしまうこと。
たくさん納税をして、子供をたくさん産んだ人は偉い。では「納税額も少ないし、子供を産んでいない私って価値ある?」という思想になってしまうことがある。
これは、自分に対しても言えるし、他人を評価する際にも言える。
「加虐心(かぎゃくしん)」は人をいじめたいと思ったり、苦しめたいと思う気持ちのこと。
「サディスト」という性癖があるが、そのことではない。誰もが持つかもしれない「人が苦しめられているところを見たいという気持ち」。
朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』でのテーマ
「優生思想」は2019年の著書『死にがいを求めて生きているの』でもテーマとしていたと語っている。
世の中で優れているとされている人と「そうでない自分」「そうでないあの人」。
「そうでない」が過度になると「危ない思想」とされる。
「津久井やまゆり園」で発生した殺害事件の加害者が「優生思想」であったとされる。
過度な「優生思想」が生産性が低い、能力が低い人は「価値がない」とし、殺害にいたったのだと。
加害者も「優生思想」であることを認めていて、それは「精神障害」等によるものではなく、本当にそう思っているのだという。これを当時、コメンテーター等は「優生思想」は危険だと切り捨てた。
しかし、ある人(ラジオで言っていたけど名前忘れた)は「優生思想=危険」と切り捨てるのではなく、誰でも濃淡はあれ持ち合わせているので、それを理解し、受け入れようと。
その考えを朝井さんは大事にしている。と言っていた。
優生思想も加虐心ももつ自分
そしてコロナ禍で考える時間が増えると、自分の「優生思想」に気がつくと言う。
コロナ禍でも一生懸命働く医療従事者や宅配業者の方々は凄い。感謝してもしきれない。一般人はコロナ禍に自粛し、家から出ないということしかできない。作家である「朝井リョウ」も自分の無力さに気づき、「優生思想」が反転してしまったという。自分は無力だと。
かつて、「優生思想」について考えたからなのか、相対的に考えることができたようだが、人がもつ「加虐心」について考えるようになったという。
この2つの繋がりはよくわからない。ラジオで言っていたかもしれないけれどよく覚えていない。
人を傷つけたい気持ちと「優生思想」で人を価値がないと思う気持ちに類似性はあるのか、そんなことかもしれない。加虐心を喚起されたエピソードを募集していた。
私の中では「感情」を否定するのではなく、「濃淡がある」ことを理解するのが大事だと思った。
加虐心についてはどこかモヤモヤしたままだ。
人を傷つけたい気持ちを肯定することで、生きやすくなるとかそんな簡単なことでもないと思うし。
また、考えが深まるヒントを朝井リョウさんから貰えるような気がする。